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2005 年
1 月
31 日 越県までして合併した事を忘れず自力で頑張って来た旧菱村2 〜さわやか早苗日記349〜 |
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(1/29日の続き)26日にあおぞらでは、昭和の合併時に栃木から群馬へ越県合併した、菱村(現在、桐生市菱地区)の調査に行き、菱公民館で地区の皆さんから話を聞いた。菱では、「越県までして合併した事を忘れない!」を合い言葉に、区民が頑張って来たのだ。 菱公民館では、昨年12月から越県合併45年を振り返る写真や資料の展示、当時を語るフリートーキングのイベントを行った。写真等は丁度展示中、今回私たちに説明してくれた方々が語り部だった。 この企画を中心になって進めた生涯学習活動リーダーの女性は、「合併当時の意気込みを知っている人たちが少なくなって来ている、当時の思いを語り継ぎ、町の事を知ってもらい、町づくりに生かしたい」「菱では合併後に川向こうの桐生市側の学校に校区が変更になった地域があり、『後から来たくせに』と仲間はずれにされたような思いが子ども心にあったため、よけいに頑張って来た」「菱区は合併後に校区が幾つかに分かれたため、大人になってからの結びつきが希薄にならないよう、私たちは生涯学習を活発に行って来ている」と、話してくれた。菱はサークルが52あるのが自慢だ(写真は、サークル用メールボックスの前で、生涯学習リーダーの皆さん) 「桐生市出身3県議の内一人は菱から、桐生市の市長も菱から、市会議員26人中3人は菱からで、しかも内2人は女性だ」と菱の皆さんは言っていたが、菱の女性パワーはすごいらしい。 女性たちが手づくりし販売している香ばしい『ガッチン山クッキー』をご馳走してくれ、「ガッチン山は昔から菱の子ども達の格好の遊び場、菱の住民の心の拠り所、そんな思いがあってこのクッキーを創った」と話した。 最後に、「山口村の人たちには、合併しても、長野県の馬籠、長野県の藤村を主張していって欲しい、『今までの山口村』を、自慢していって欲しい」と言っていた。 お昼ご飯までご馳走になりがら、私は大好きな桐生市出身の画家、オノサト・トシノブの事を聞いてみた。もと菱村議の方は生前に親しくしていたそうで、懐かしそうに話をしてくれた。 オノサトは1963年に日本国際美術展で最優秀賞を受賞、ヴェネチア・ビエンナーレ等に出品し海外でも高く評価されている。私の夫は、20代の頃シルクスクリーンの版画工房でオノサトの版画の刷りをしており、桐生のオノサトのアトリエに何度か通った。私たちは東京のオノサト・ギャラリーで個展をやらせてもらった事もある。 シルクスクリーンは、日本の反物の型染めから生まれた版画の技法で、織物の盛んな桐生だからこそ、オノサトはこの技法を自分の作品の中に取り入れた。現代美術のオノサトの作品の底流には、故郷の伝統が脈打っているのだ。幾何学的な形象の中に華麗な色彩を配列し、曼荼羅を思わせるような美しいオノサトの作品が展示されている美術館が幾つかある。下をクリックしてご覧下さい。 尚、オノサトは子どもの頃に桐生市に移り、ここで育ったが、生まれは長野県飯田市ということを、家に帰ってから知った。 さて、昭和の合併時に栃木から群馬へ越県合併した菱村のかわりに、栃木県側は群馬県の矢場川村をよこせと主張した。群馬県太田市と栃木県足利市に挟まれた矢場川村は、村を二分した紛争になったが、自治大臣の決定により、分村して2地区が太田市に、残りの地区は足利市に編入された。昭和合併時に分村された点で、山口村神坂地区と酷似している。 私たちあおぞらでは、菱村の後、午後はこちらの調査に行った。(続く) オノサトの作品展示の美術館 | ||
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