北山 早苗 http://sanae.voicejapan.net
活動報告バックナンバー
2006 年 9 月 8 日
村井県政1週間、すでに後戻りの気配‥‥質問どり、松糸道路
 村井新知事になって1週間たった。私は後戻りの気配を感じ始めている。
後戻り?その1
 臨時県議会を控え、一昨日(6日)は、各会派代表と村井知事との会合があった。新知事になってから、始めての会合だ。
 この席で、村井新知事は本会議での質問について触れ、「質問内容を確認させていただきたい」とかつての『質問取り(理事者側が、予め議員に質問内容を聞いて回る)』を復活させたい旨を伝えた。その理由が、「田中県政時、質問取りをなくしたため、議場で混乱を招いたからだ」という。
 私は「何、言っているの」と思った。
 私の読んだ議員の心得には、『質問内容にきちんとした答えをもらいたければ、質問内容は予め通告しておくこと、数字などは前もって各部局にもらい、それを踏まえた上で、質問すること』と書かれている。質問する議員の行うべきこととして、こんなことは当たり前のこと、『質問取り』なんて事自身が、常識的に考えればおかしな事なのだ。

 また、どの程度内容を通告するかは、議員の意図するところで良いはずだ。
 私は田中県政の与党的立場であったときは、基本的に田中県政の方向性に賛成だったが、まだまだ足りない所もたくさんあると感じていた。だから、質問は現場の声を出来るだけ紹介し、それを県全体、あるいは世の中全体に置き換えてみたところから、質問するというスタイルになった。また、私の質問内容は職員からしてみれば、想定外、範疇外になることもあり、当然、こちら側の意図する所はきちんと理解した上で答えてもらいたいと思った。
 だから、質問内容は詳しく伝えることが、多かった。
 しかし、時には、相手が何と答えるかぶつけて聞いてみたいというときもあった。そういうときは、通告は項目だけにした。
 質問するのは私なのだから、どうするかは私の自由、当然のことだ。

 田中知事になって、『質問取り』はやめるということにしたのが気に入らないのか、県議たちは、わざと、通告しなかったり、議場で数値を聞いてみて、「俺の持っている数値と違う、嘘を言っている」などと言い、議会をストップさせたりする議員までいた。実は、その議員の言っている数値は古いデータで、恥じをかいたりするような場面もあった。
 また、嫌がらせと思えるような質問もあったり、質問せずに「あんたはヒトラー」と言って、答えさせないで終るなんてのも、しょっちゅうだった。
 だから、村井知事の言う、「田中県政時、質問取りをなくしたため、議場で混乱を招いたからだ」というのは、誤り。混乱させたのは、知事側ではなく議会だ。もし議員の中で混乱した人がいるとしたら、これまで長年慣れ親しんで来た『質問取り』という方式がなくなったことにだろう。
 本来は、どうやろうと、それは議員の勝手。通告するのもしないのも、議員の勝手。上記心得に準じ、質問する議員側から、必要に応じて内容を通告しておくだけのこと。それをわざわざ、「質問内容を確認させていただきたい」と、かつての『質問取り』を復活させたい旨の村井知事の発言は、議場外の県民から見れば、後戻りにほかならない。

後戻り?その2
 昨日(7日)から、県議会・土木住宅委員会で 中信地域を回った。小谷村では地域高規格道路・松本糸魚川連絡道路として、昨年調査区間に指定された、雨中地区のバイパス計画について説明を受けた。トンネル案も地上案も予想以上に地質が悪いため、距離は長くなるが、山の更に中の方を貫くトンネル案を検討中との事だった。
 道路全体の大まかな想定ルートを示している図が大町建設事務所から資料として出された。それによると、平成15年の県議会で田中知事が「起点は豊科インター付近」と答弁したにもかかわらず、また、波田起点案(安曇野山麓田園地帯縦断ルート)も復活していた。これは、先日の市民タイムスのインタビューに答えて村井知事が「波田起点の重みを考えたい」と発言した事を受けてのことか?
 大町合同庁舎では、大北市町村の首長たちからの陳情を受けた。その中に、地域高規格道路事業の推進があった。私は、「初め国は4車線でインターから乗り入れる自動車専用道路と言っていたが、住民の意向を察知する中で、現道改良でも良いと言う方針に変えて来た。そのような中で、大北地域にとっては、豊科起点でオリンピック道路等の現道を改良する方がメリットがあると思うが、皆さんはどのように考えるか?」と質問をした。
 牛越大町市長が代表して答えた。「色々配慮しなくてはならないことがあるが、起点が豊科か、波田かを最終的に決めるのは、村井知事」と。
 牛越市長は、以前、土木部と懇談した時の席で、私が「豊科起点になったのなら、安曇野堀金〜大町まで15km調査区間を取り消さないのか」と尋ねた所、「取り消しという項目が国にはない、豊科起点になったことが、取り消しと同じ」と答えた当時の土木部管理課長である。過去の自分の発言は大事にして欲しい。

 いずれにしても、豊科起点は、田中知事だけが決めたのではない。2001年に県主催で討論会が開かれ、住民が3ヶ月間もかかって議論し、例えば一住民だった私が参加した穂高会場では、最後のグループごとの意見発表会では「一番道路が不必要な堀金〜大町間の安曇野山麓田園地帯縦断の15kmを、真っ先に造るなんて、おかしい」「住民の望むのは現道の改良」「新たな道ではなく、今あるオリンピック道路等を改良するのが望ましく、起点は豊科インター」「一番、緊急性がある、小谷の方からやるべきだ」という意見がほとんどだった。
 田中知事の、豊科起点にするという判断は、住民の討論の結果であり、土木部は、この経過を村井知事にきちんと説明しなくてはいけない。村井知事とて、私人ではなく知事であるのだから、住民意志は尊重しなくてはいけない。そうでなければ、後戻りだ。

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