北山 早苗 http://sanae.voicejapan.net
活動報告バックナンバー
2006 年 9 月 15 日
知事選での腰原氏の勲章、私の勲章
〜さわやか早苗日記411〜
 13日から村井新知事になって初めての臨時県議会が開かれた。知事から二人の副知事などの人事案件と、高校の統合議案が提案された。
 議案に対する質疑と、人事案については、採決が行われた。あおぞらでは、林奉文議員が質疑をした。副知事に腰原愛正氏をという村井知事の姿勢を質したり、知事選挙中に「高校統合については、白紙に戻す」と言った村井知事の公約について質した。
 村井知事はそれぞれ、「論功行賞人事といわれても、市町村とのパイプになって頂くサポート役として必要、責任は私がとる」「大町市長時代の(疑惑について告発されている)ことは、県政とは関係ない」「高校統合の白紙については個人の見解を述べたまで。その公約を果たすためには、教育委員会の権限を尊重するしかない」と、言い逃れた。
 村井知事は、林議員の質問中、ニヤニヤ笑っていたかと思うと、途中から表情がこわばって来たりもした。また、宮川速雄議員が「(高校統合白紙と言ったのは)嘘つき!」とヤジったら、演壇から自席に帰る途中、振り返って、こちらを睨んだ。

 私は続けて、腰原氏の副知事案に反対の討論をした。内容は、田中知事が茅野実氏を人事委員にと提案した時に、平野成基県議が論功行賞だと言い反対したときの討論の、名前と役職名だけ入れ替えたものだ。「田中知事や茅野氏のように人の上に立つ人は、李下に冠を正すようなことをしてはいけない」ということなどだが、「村井知事や腰原氏のように人の上に立つ人は、李下に冠を正すようなことをしてはいけない」としたら、あまりにぴったり、そのまま使えたので、自分でもビックリした。
 ただし、片や支援者を人事委員にというものであったのに対して、今回はこともあろうに選対本部長を、県政のナンバー2である副知事にというものだ。桁違い、度を超していると言わざるを得ない。こんな超・田中はやめてもらいたいと誰かが言っていたが、その通りだ。
 あおぞらの、私、林議員、宮川議員は、田中県政時に人事は知事の専権事項、よほどの事がない限り認めるべきと主張して来たが、今回ばかりは認められないと討論した。

 もう一つ腰原氏副知事案に反対した理由は、彼が大町市長時代の係争中である問題の、当時の最高責任者であったことだ。腰原氏が市長時代の「大町市しらかば保育園改築事業」に関して、プロポーザルコンペや県への補助金申請、業者に対する入札において、竣工したしらかば保育園とは全く異なる、豊田村第一保育園の設計図、つまりダミーの設計図を使用したという疑惑で、10数回の公判を経て、現在も係争中だ。
 ほかにも、市民浴場改築をはじめ、彼についての疑問の声が大町市民の間では根強く、自身の後援会からも5期目の市長選出馬には反対の声が上がり、断念せざるを得なかったという話も聞いた。
 このような人を敢えて提案するにあたり、衆議院時代の秘書3人を知事秘書にしたいという提案を引っ込めたこととも重なって、いくら責任は自分が持つとカッコいい事を言われても、村井新知事への不信感は拭いきれない。
 漏れ聞く所によると、議会開会前日の晩には県庁近くのホテルで、親知事7会派と村井知事との懇親会があったそうだ。腰原副知事案には、「田中知事のときには論功行賞人事はいけないと言って来たから」と言う理由で、新知事会派の議員も8人反対はしたが、結果は21対34で可決、「これは懇親会の賜物では‥‥」という県議会に対する不信の声もあがっている。

 このようにして、腰原氏は、選挙戦での勲章を、村井知事や親村井県議から賜ったというわけだ。
 私の反対討論は、一番下をクリックしてお読み下さい。

 さて、本屋さんで立ち読みした週刊SPA!9/12号、田中康夫氏の『東京ペログリ日記』に、「8月7日、新党日本長野県第一支部。御支援下さった今井正子、島田基正、田口哲男、永井一雄の各県議らと打ち合わせ。」とあった。
 前号などにも、遊説カーで一緒に回ってくれたり集会を開いてくれたとして、4人の県議の知事選での功労が記されていたが、あおぞらの3人の名前はどこにもなかった。
 実は、私は今回の知事選の前に心に誓ったことがある。『知事選を自分の県議選に利用していると思われないようにする』事である。これは、地元安曇野の(共産党を除き唯一田中支持であった)市議とも、お互いそうしようと約束していた。彼女は、「他の県議が、村井、村井とマイクを握り、表に立っている姿は、知事をチェックする役目の県議としては、おかしい」と言い、私もその通りだと思った。
 よって、私の役目はあくまでも安曇野の勝手連、草の根選挙の一員であった。
 とはいえ、本部の仕事をやらなかったわけでもない。告示数日前に田中支持の7県議が、夜の集会を含む全県を回る遊説スケジュール案をたてて欲しいと、長野事務所に呼ばれた。林議員は用事で欠席だったが、私や宮川議員は各地勝手連ネットワークの世話役である武居・塩尻市議を誘って出席した。結局その後、実際にスケジュール案をつくったのは3人(武居・北山・宮川)であった。しかし、3人とも松本事務所が近いのでそちらでやらせて欲しいと頼んだが、なぜか、スケジュール素案が出来お膳立てが整った所で、長野事務所に出入りしていた他の県議たちから、武居さんを通して、あとは我々でやるから良いと言われた。
 それからは、私は安曇野地域をぐるぐる回ったり、ビラ配りをしたり、安曇野勝手連の仲間と安曇野・筑北・大北地域の遊説の詳細スケジュールをたて、遊説カーや街宣カーを車で先導したり、松本事務所と安曇野等の勝手連のつなぎ役などに追われたりした。これらの仕事は、私が県議ではなかった出直し知事選の時と変わらない。
 前回と違っていたのは、私は、今回は議員なのだから市民を主役にしサポートに回ろうと、気を配っていた事で、例えば安曇野集会では司会など表に立つ役は、みな他の方がやった。また、チラシをもって、地域を回ると、県政や県議会の様子が知りたいと言われ、話込むことがどうしても多くなってしまった事だ。
 林議員もバイクで1000軒もチラシを配って回った。宮川議員も選挙中に電話すると、いつも「今、諏訪ロートル勝手連の皆と、スーパーでチラシ配り中」という返事が返って来た。私と同じ立場を貫いているんだなと、思った。
 だから、私はペログリに、支援してくれた県議と、名前が載らなかった事に大満足!これが今回の私の選挙の勲章だ。

 なお、余談だが、選挙前は会派で違う候補を支持することについてのマスコミインタビューに「何の問題もない」と答えていた田口県議たちが、選挙後に急に会派を離脱することになり、あおぞらも入るようにと声をかけられたが、なぜ、一貫した立場を通して来たあおぞらを、なくさなくてはならないのか、私はよくわからなかった。でも、7日に田中氏と4人が打ち合わせしたと書かれていたので、謎が解けた。
腰原氏副知事案への反対討論

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