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2007 年
9 月
25 日 人工改変で失われゆく上高地の自然と、県の果たすべき役割 〜さわやか早苗日記456〜 |
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日本の国立公園の中でもすばらしい景観と自然環境を有する上高地は、国内のみならず海外からも多くの観光客が訪れている。上高地の景観や自然環境を維持するために、人はどのように接すれば良いのか?上高地の成り立ちを知り、あるべき姿考えるきっかけにしようと、まつもと市民環境大学主催の『上高地見学会』が行われ、参加した。市民環境大学は地球温暖化防止に取り組むため、松本地域の環境団体が垣根をこえて手を繋ぎ、考え行動していこうと、今年つくられた。 見学会では、上高地の自然と生態系を知ろうと、大正池から田代池、ウェストン碑、河童橋、小梨平、六百沢扇状地、明神までを1日歩きながら、信大山岳研究所の原山智教授から「地質からみた上高地の成り立ち」の話、環境アセスメンターの水上貴博氏から「上高地の川辺林にみられる植生」の話などを聞いた。 上高地を流れる梓川は、大昔は岐阜県の高山盆地に向かって流れていたそうだ。それが64万年前に岐阜県側でおこった大規模噴火により、流れが北の岐阜県飛騨市方面へと変わり、更に3万年前以降に焼岳などの上高地周辺の火山が断続的に噴火をくり返す中で、流れが塞がり、巨大な湖が出現した。ここに最深500mもの砂礫がたまり、2万7千年前に上高地の原形がつくられた。そして、ある時、松本盆地側の尾根が決壊し、そこから大量の土石流が流れ下り、今の長野県側へ流れが確定した。 この梓川変遷の時代は寒冷期から温暖期と気候変動もあり、大正池に堆積した400mの土砂の下には、地球温暖化の過程が記録されているはずという。更に、大正池北西側の遊歩道には急傾斜の岩盤が露出しているが、これは5、6万年前の氷河期に岳沢方面から流下した氷河のU字谷の側壁ではないかとのこと。 なお、大正池はその名の通り、大正4年の焼岳の噴火により梓川が塞がれ出来たもの。活火山の焼岳の噴火により、川の流れが塞がれ、池が出現、そして決壊と、何度も繰り返されてきた。 ところが今の大正池には、下流に釜ヶ渕砂防堰堤が築かれたため(昭和19年完成)、決壊による池の喪失はなくなった。同時に、焼岳の沢や、梓川、及びその支川から流入する土砂で、池がどんどん埋まることになった。大正池を維持するために毎年大量の土砂を浚渫している。(写真上、大正池と焼岳) しかも、土砂の流入を防ぐとして、上高地の梓川の支川には、国立公園にもかかわらず、驚くほどの数の砂防堰堤が建設されていて、実は、上高地の生態系に重大な影響を与えている。このことは、後で書くことにして、他にも、「地質からみた上高地」の面白さを教えてもらった。 *大正池から河童橋向かって遊歩道を行くと、途中に田代池がある。ここから北西にかけての地帯には、10〜20mほどの『小丘』が点在している。これは、火山岩や花崗岩のブロックの集合体から成っていて、梓川を挟んだ反対側の山腹が、山体崩壊を起こし固まりのまま流されてきて出来たもの。 *ウェストン碑のレリーフが埋め込まれている岩盤は、140万年前に形成された世界一若い露出花崗岩である。3kmより深い地下でマグマがゆっくり冷えて出来た岩石が(深成岩・・・花崗岩は深成岩に分類される)、隆起と浸食によって、地上に顔を出すことがある。地表に出た深成岩は形成から数百万年以上たっているのが普通で、日本列島の地表に出た深成岩の大部分は1億年〜5千年前にできたもの。140万年以降に、穂高連峰一体が激しい隆起をし、浸食によって出来た証拠がウェストンの花崗岩。 *河童橋上流の流れの中に、巨礫ブロックがあるが、これも大規模な山体崩壊によるもの。この崩壊は、1万年ほど前のもので、梓川をせき止め、崩壊堆積物の末端は河童橋の5千尺ホテルのあたりにまで達した。堆積物は浸食されにくい岩石だったため、小梨平から西に向かって流れてきた梓川は、堆積物の端を通らざるを得なくなり、直角に曲がって南下することになった。 *河童橋から明神池までの小梨平には、途中、遊歩道脇に高さ20mもの岩盤が露出している。これは、175万年前の巨大カルデラ火山の中で、溢れずにたまった火山灰が溶結した凝灰岩である。遊歩道を先に進み、六百沢に近づくと溶結凝灰岩が急減し、白い花崗岩の礫やマサ土が増える。ここは、カルデラの壁を造っていた基盤岩(古第紀奥又白花崗岩)の領域。 上高地の成り立ちは、なんて壮大なドラマなのだろう。この自然のダイナミズムの中で、上高地で行われている、砂防事業の意味は、、、一体何なか? 先にも触れた、土砂の流入を防ぐ目的で造られている砂防堰堤や、氾濫を防ぎ観光施設を守る目的で行われている河川改修により、上高地は人工改変が進んでいる。登山者や観光客に対しては動植物・土砂採取禁止など厳しい規制があるにもかかわらず、行政による大規模土木工事が行われていて、冬の上高地を訪れると、重機にかき回されている姿に、がっかりするそうだ。(写真下左、冬に掻き上げた護岸) 堤防や護岸は、上高地の魅力である『広い河原を流れる梓川と河辺林』の姿を失わせるものだ。上高地を代表する植物のケショウヤナギは、上高地を含む梓川と、北海道十勝の札内川流域にしかない希少植物だが、生育環境のほとんどが失われ、上高地が最後の砦になっている。 沢からの押し出し土砂で形成された扇状地や河床の砂礫堆に生えた、ケショウヤナギの稚樹は(写真下右)、2、3年に1度の頻度で洪水が起き地表が氾濫撹乱されるような場所にのみ定着する。 今のような上高地の、奥山まで砂防が入り土砂が供給されず、護岸や床固め工により流路が固定されている状況では、ケショウヤナギが成長してきた扇状地や砂礫堆(氾濫原)はなくなり、カラマツなどの乾燥した土地に生える植物が増え、生態系は変化している。 ケショウヤナギは100年で寿命というから、現在ある大木も40〜50年でなくなり、絶滅に向かっているというわけだ。同時に、上高地の『梓川と河辺林』の景色は失われる。 世界の上高地を、観光施設を守るための人工改変で失ってしまってよいのだろうか? 先日新聞で、砂防推進団体がシンポジウムを開き「上高地は人工的に守ってきた場所である」と言っていたのを目にした。堰堤や浚渫で大正池を維持したり、護岸や床固め工で観光施設を守ってきたと言う意味だ。しかし同時に、それは上高地の魅力である『河辺林』などの自然が創った景観を壊してきた。 サンダル履きで来られる上高地も魅力かもしれないが、河童橋から奥までサンダル履きで行ける必要があるのだろうか?上高地と人の付き合い方、利用の仕方を含めて、今から将来に向けての上高地のあり方を本気で考える必要がある。 行政、観光に携わる人、様々な専門家、環境市民団体などが一堂に会して、それを話し合う場がこれまでなかった。話し合いの場を創る必要があるが、縦割り行政で土木事業しか行って来なかった国には期待できず、地元との利益に左右される松本市が、その音頭をとるのも、難しい。となると、出来るのは、県ではないだろうか? 自然のダイナミズムとどう関わり、上高地を本当の意味で世界の上高地として守っていくのか?失ったら戻らない、今ならば、まだ間に合う。県の果たすべき役割は大きい。 上高地公式webサイト | ||
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