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2008 年
3 月
17 日 勝っておごる市長。負けたけれど新しい流れを創り出した市民 〜さわやか早苗日記477〜 |
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「相手が弱すぎましたねえ」「『相手にとって不足はない』と言いますが、相手にとって不足がありましたねえ」「あまり具体的な政策はないし、ある意味言葉の羅列だと言われてれていましたし、もう少し政策論争をしたかったなと思っています」 これは、16日の松本市長選で再選が決まった際の、菅谷昭氏の言葉だ。勝って、このような言葉を、相手候補に対して言った人がいるだろうか?なんて、おごっている言葉なのだ! 私は負けた市川ひろみさんの票待ち会場から帰って、録画しておいた市長選結果を報じるTVを見て、呆れてしまった。これには、菅谷氏の票待ち会場で取材をしていたマスコミ関係者からも、批判の声があったそうだ。 菅谷さんの本質が見えた気がして、「ああ、だから、私はこの人に市長を継続してほしくなかったのだ」とあらためて思った。そして、私が昨年の県議選後に、市長室に挨拶に行ったときに言われた菅谷氏の「僕は、マイノリティ(少数派)のためではなく、マジョリティ(多数派)のために仕事をしている」という言葉を思い出してしまった。 議員と違い、市長は一人しかいないのだ。その市長がマイノリティには目を向けず、勝ち誇って相手を侮辱する言葉を言うなんて。その相手候補に期待したり、現職批判から票を投じた市民が確実にいるのだ。勝ったときこそ、慎まなければならないはずなのに、なんと器の小さいことか‥‥。 また、今回の松本市長選は戦後2番目の低投票率(47.43%)だった。このことへの感想を聞かれた菅谷氏は「残念だ。もう少し政治に関心を持ってほしい。ある意味で市民に責任があると思う」と言ったと、報道されている。これにもびっくりした。 菅谷さんは、市川さんのことを「具体的な政策がない、もう少し政策論争をしたかった」と批判しているが、それならば、この選挙で具体的な政策論争を菅谷氏から持ちかければ良かったではないか。しかし、彼にはそれができないのだ。市長選挙前に行われた公開討論会では、自分のビジョンを明確に伝える市川さんに対して、菅谷さんはそれが殆どできなかった。ああこの人は人の前で話すことができないから、市長室から出て来られなかったのだとわかった。ただ、残念なことに、この公開討論会を聞きに来ている市民が少なすぎた。 他の人が書いた物を読むだけ、自分の言葉で想いを伝えられない市長では、市民に政治への関心を持たせることはできない。それを棚に上げ、投票率が低いのは市民の責任というのは情けない。 地元紙には、「菅谷氏は7日間の選挙期間中、街頭演説に建たない日が3日あった。市川氏の陣営が『街頭演説の回数なんて数えきれない』としているのとは、対照的だ。有権者に主張を伝え、審判を仰がなければならない立場にもかかわらず、菅谷氏のこのスタンスは理解しかねた。陣営がお膳立てした支持者が多く集まる個人演説会やミニ集会だけをこなし、街頭演説をしないというのでは、不特定多数の市民への訴えを軽視したと見られても仕方ない。」と書かれた。 市川さんの17299票に対して、菅谷さんは66764票と大差を付けての勝利だったとは言え、地元マスコミに、このように書かれる人も珍しいのではないか?ずうっと菅谷氏に張り付いていたマスコミだからこそ、「相手にとって不足があった」「低投票率は市民の責任」発言に、菅谷氏の本質が見え、疑問符を付けたのかもしれない。 菅谷氏に票を入れた市民は「1期目では何もできないから、もう1期やらせてあげよう」という人が多かったようだ。その気持ちはわからないでもないが、それならば、菅谷氏はその市民の期待に答える必要がある。でも、その期待とは、福祉などの充実ではないか?しかし、彼が2期目の抱負として掲げている外堀の復元や工業団地の造成、農業ロボットの研究などは、市民の願いに本当に合っているのか?再び菅谷氏を市長にした市民は、これからの菅谷氏のお金(税金)の使い方を厳しく見ていく必要がある。 お金(税金)の使い方をどう考えるかという点では、市川さん側にも自分の軸足をもっと明確にして、菅谷さんのこれまでのお金の使い方で問題点は何処にあったかを、市民にわかりやすく示すべきだったと、悔やまれる。 私は、市民オンブズマンの人たちの会議に出席しているので、そこで市民芸術館の運営に関する疑問をまとめた冊子をいただいて来て、市川さんにも渡した。また、私の日記にもこのことについて触れた。でも、市川さんの演説やビラにそのことについては、あまりなかった気がする。芸術館を建てたのは有賀前市長だが、運営は菅谷市長がしてきたことであり、そのことは市民にとって、わかりやすい論点になったはずだ。 市川さんを担ぎ出した市民も、「変える」のは、何を変えたかったのか?やっぱり市民のお金(税金)の使い方を変えることが、一番わかりやすいと思うのだが、そこをもっと具体的に示すことができなかったのが、残念に思えた。 市川さんの生の声や姿を見てもらえれば、その素晴らしさは確実にわかってもらえたのだが、市川さんの知名度がなかったり、立候補表明から投票日まで1月半ぐらいしかなかったりしたために、多くの市民に市川さんの良さが伝えられずに投票日を迎えてしまった。だからこそ、市川さんに会うことのない市民にPRするわかりやすい「変えたい具体的なこと」が必要だった。 でも、市川さんが立ってくれなければ、菅谷氏の本質は表に見えることはなかっただろうし、これまで選挙なんてやったことがない市川さんや担ぎ出した女性たちが、「市長を変えたい」と言う想いを17299人にわかってもらえたことは、評価したい。 選挙は勝たなければ意味がないといわれるが、私はそんなことはないと思う。出た結果を、次に向かって生かせるかどうかで、意味があるかどうかは決まる。私は市川さんの出陣式に応援の挨拶させていただいた時に、「市川さんの選挙は、2000年に田中県政が長野県に誕生したその流れの中にある。」と話させていただいた。私もその流れの中で議員になった。菅谷氏が市長になったのもその流れの中の出来事だ。そして、今回、市川さんが市長選に出たのもその流れの中で起きたことだ。流れに流されるのではなく、流れは自分たちで創るのだ。 菅谷さんは、ただ流されている。それは今回の選挙で、オール与党、組織がこぞってくっついたことが証明している。 だから、市川さんも、市川さんを応援した人も私も、この流れの中に自分が居ることを、今一度しっかりと認識し、流れの中で自分たちの立つ位置を確認し、私たちの税金を本当に市民が願っていることに使うことの出来るような社会に向かって、流れを創っていくことを、また今日から始めれば良い。 政治を変えるのは、既存の政党なんかじゃない!選挙なんかやったことのない市民が立ち上がり、創りだした流れはそのうち必ず大きな流れになる。 「市川さんは、今日も元気だったよ」と、事務所を片付けてくれている友人に電話したら言っていた。市川さんは、短期間の選挙だったにもかかわらず、本当によく外を飛び回り、自ら人々に語りかけ話もよく聞いていた。そのおかげで、市川さんは選挙に出る前より、更にもっとエネルギッシュになられたようだ。 | ||
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