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2009 年
5 月
24 日 いのちが一番のまつりごと、母として無所属議員としていのちと人権を守るために活動して来た川田悦子さん 〜さわやか早苗日記514〜 |
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川田悦子さんの次男の川田龍平氏は生後6ヶ月で血友病と診断され、その後、血友病の治療薬である輸入非加熱製剤からHIVに感染した。悦子さんは「血友病の子どもを守る会」を結成したり、「東京HIV訴訟原告団」に参加し、龍平氏とともに、薬害エイズ裁判の先頭に立って行動して来た。 2000年〜04年衆議院議員として、医療問題やBSEなどの感染症問題に取組んだ。現在は長野県に住んでいる。また、龍平氏が2007年に参議院議員になり、いのちと人権・環境・平和の問題に取組んでいる。 川田悦子さんを一貫して突き動かして来たものは、「子ども(龍平氏)のいのちのため」「子どもに繋がるいのちと人権を守りたい」ということだ。 川田さんは、日本の政治が、いかに人権に無関心であるかを、自身の活動経験を通して感じて来たことから話された。 ・1987年に兵庫県で外国人女性がエイズを発症した。エイズを法律で取り締まろうと、エイズ予防法を制定しようとした。このような法をつくったのは先進国では日本とキューバだけ。日本に、人権という立場で考える政党はいない。右・左関係なく、人権に麻痺している。そのため、「血友病の子どもを守る親の会」を立ち上げ、人権侵害の「エイズ予防法」に反対する運動を2年間行なったが、法は成立してしまった。これは、ただ政党の上の方で、厚生省の説明だけ聞いて決めてしまうため。 ・川田悦子さんが国会議員だったときも、無所属議員として、たった一人だけ反対したことも何度もあった。本当に、勇気が必要だった。政党に所属している議員たちは、上で決めた賛成反対の○×が書かれた表が配られ、それに従って立ったり座ったりしているだけ。これでは、一人一人の議員が人権について考える事が出来るわけはないと思った。 ・息子の龍平氏を86年に東大医科研に連れて行き、当時試験的に始められたインターフェロン治療を受けるためだった。治療を受けさせるために、小学校5年生の子どもに、HIVに感染していることを告知した。10歳の龍平氏は「エイズになったら(発症したら)、自殺する」と言ったそうだ。エイズ患者は本当に苦しみ、やせ細って死んでいったからだ。告知は、龍平氏自身の命と他人の命を守るためでもあった。しかし、当時、病院ではNIVに感染しているか、していないかを教えない時代に入っていった。また、厚生省は、いのちを守ろうとせず、全く治療体制をとろうとしなかった。 アメリカからの血漿を原料とする非加熱血液製剤によって、およそ2000人の血友病患者らがHIVに感染した「薬害エイズ」事件は、帝京大学病院での血友病患者のHIV感染事件など3つの刑事裁判へと展開し、業務上過失致死事件として検察によって「産・学・官」三者の責任が訴追されてきた。元帝京大学安部英副学長の責任が問われ、第1審の東京地方裁判所は被告人無罪の判決を下したが、検察によって控訴された。しかし、安部氏が死亡したために、東京高裁は公訴棄却した。安部氏は、血友病の権威であり、1983年6月に設置されたエイズ研究班(エイズの実態把握に関する研究班)の初代班長だった。 阿部氏の責任について質問された川田悦子さんは、下記のように答えた。 ・研究班の会議の録音テープを聴くと、第1回目の時には、安倍氏は誰よりも一番感染の危険性を言っていた。ところが、2回目、3回目とトーンが落ちていく。これは何故か?NHKで放映された「薬害エイズ16年目の真実--川田龍平が郡司元課長に聞く」では、郡司氏は龍平君には何もかも話すと言いながら、一番肝心のところでは、口をつぐんでしまった。それは何故か?(郡司篤晃氏は83年6月、エイズウィルスに汚染された血液製剤がアメリカ・トラベノール社から輸入され同社が自主回収していたことが判明した当時の厚生省生物製剤課長として血液製剤供給の責任者) ・アメリカでは、非加熱製剤の危険性がわかり、加熱するようになってからも、加熱製剤は値段が高いことから金持ちしか使えず、貧乏人は相変わらず非加熱製剤を使っていた。そして、更に余ったものを世界へ輸出していた。日本は非加熱製剤を高く買ってくれる一番のお得意先だった。こうして、危険性がわかっってからも2年4ヶ月もの間、日本では非加熱製剤が使われてしまうことになった。これは、日本がアメリカの属国であるからに他ならない。 ・WHO(世界保健機関)では、血液製剤の原料の血液は自国で自給しなさいとされているが、日本では多くが輸入されて来た。これは、日本が車を輸出するために、大量の血液製剤を輸入する必要があったため。 川田悦子さんが言いたいのは、安倍氏だけの責任ではないということ。つまり、安倍氏にも郡司氏にもアメリカからの圧力があり、また、それは日本の車を売りたい企業社会からの圧力でもあったということ。日本では教育や医療までもが、企業の儲けの対象になっているという、薬害エイズ問題も社会の構造的な問題の一つなのだ。 これを変えていくのは、政治を変えるしかない。 川田さんは、国会議員を一期やった後、2度と政治に関わりたくないと思っていたそうだ。しかし、最近、「政治だけが一流になれるわけではない、選挙を大事にし、一人の市民として政治に関わっていくことで、国民も一流にならないといけない」と思っているそうだ。 会場からの意見に、「サルトルが、アンガージュマンという言葉で、文学者に政治参加を呼びかけた。これは、政治は命の問題に直結しているからと、サルトルは説明している」という意見があった。これは、まさに今回の懇談会のテーマだ。 また、アメリカの属国であるという話の中で、会場から、「日本で始まる(今日から始まった)裁判員制度も、アメリカからの要求でつくられたもの。自分はアメリカに住んでいたことがあるが、アメリカは無茶苦茶な訴訟社会、ピンからキリまでの沢山の弁護士がいて、金持ちは有能な弁護士を頼める。如何にして無実な人を有罪にするか、有罪者を無実にするかデタラメが横行している。」と、裁判員制度への疑問の声もあった。 更に、田中角栄がロッキード事件で失脚したのも、アメリカを飛び越えて日中国交回復を行なったためで、アメリカの意図だったという話も出た。 日本の政治を『企業経済優先』から、『いのちが一番のまつりごと』に変えるためには、今度の衆議院選挙で、私たち国民は、マスコミ報道に踊らされることなく、物事の本質を見極めていきたい。 また、川田悦子さんが話したことで印象的だったのが、川田さんが衆議院に立候補する際、中村敦夫さんの『みどりの会議』から声がかかったが、選挙の会議に候補者は出なくて良いと言われたため、会議に出て候補者として意見を言いたいと言ったが、聞いてもらえず、「自分の選挙をやりたい」と、選挙資金1000万円を自分で用意したという話。ドロドロした大変な選挙だったと…。この話は初めて聞いた。無所属で後ろ盾もなく選挙に出ることは如何に大変か、でも、それをやって来た川田さんには本物の強さがある。私も見習いたい。 (参考HP)行政責任も犠牲者への心の痛みも感じない厚生省・郡司元課長 | ||
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| ■ 北山 早苗 |