2004 年
8 月
5 日
カテゴリ:活動報告
正しい歴史感と哲学を持った政治家のいない日本
〜さわやか早苗日記282〜
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明日は59年前に広島に原爆が投下された日だ。広島連合ハノーファーのドイツ人メンバーが平和の祭典に参加する為、広島を訪れている。彼らは、私たちが5月にドイツ環境スタディーツアーでハノーファーを訪れた際に、受け入れ、ホームステイさせてくれたメンバーだ。7月16日〜8月9日まで6人で(内1人は通訳日本人留学生で現在ハノーバー大学の学生)、札幌や、松本、京都、広島、長崎などに滞在し、平和や環境や政治を学んだり、被差別部落を訪れたりしている。 市民レベルでのドイツとの交流は15年も続いていて、長野県では『日独平和フォーラム』(代表は波田町の百瀬智さん)として交流している。今回来日したドイツの皆さんは長野県に7月23日夜〜28日朝まで滞在し、26日には長野市の松代大本営跡に私たちと一緒に訪れた。 長野市の観光課の文書によると、松代大本営は第2次世界大戦の末期に軍部が本土決戦最後の拠点として極秘の内に政府各省庁を移すという計画のもとに造った。地下壕は舞鶴山、象山、皆神山の3ヶ所に碁盤の目のように掘られ延長は10kmにもなる。9ヶ月間に、当時のお金で約2億円と延べ300万人の住民や朝鮮人の方々が労働者として強制的に動員され、徹夜で工事が進められた。食料事情も悪く、工法も旧式な人海戦術を強いられ、多くの犠牲者が出た。地下壕は全行程の75%で終戦となり、戦後は忘れ去られようとしていたが、太平洋戦争の遺跡として多くの人々に存在を知ってもらう為に平成元年から見学できるよう整備した。 整備は市民団体からの要望で実現した。象山地下壕の入り口には市民団体によってつくられた、大きな松代大本営を説明するパネルがある(写真上)。これに対して入り口に長野市が設置したパネルは、一畳ほどの小さなもので(下)、もう一枚は見学にあたっての注意書き。 また、このような施設を所轄しているのが長野市では観光課と聞き、みな驚いていた。地下壕に入って行くと、東京の明大付属中の生徒が大勢見学に来ていた。本来なら、教育委員会が多くの子ども達に太平洋戦争を学ばせる場として保存しなければいけないはずだ。 『日独平和フォーラム』代表の百瀬さんは、ドイツはユダヤ人虐待について謝罪しているが、日本は原爆等の被害者としての歴史は伝えても、加害者としての戦争の負の遺産を残すことや伝えることに消極的なためと話した。 私にもそう思える。私は小学校教師時代に、6年生の社会科の教科書での、日本が東南アジアへ侵略して行った記述について、正しく書かれていないことに不満を持っていた。記述のないものも多かったが、書かれていてもその表現が「東南アジアへ進出」だった。進出と侵略では大きく意味が違う。
松代大本営の見学後、田中知事をドイツの皆さんで表敬訪問した。田中知事は広島の原爆記念碑に書かれている文章、「安らかにお眠りください。あやまちは二度と繰り返しません」について、次のように語った。 「この文は、誰が誰に対してか記されていない。日本が乗り越えられない限界を示している。責任の所在が明らかにならないのが日本の社会。ドイツにはコールのような強いドイツを唱えた政治家と、歴史感や哲学を持ったワイツゼッカーという政治家がいる。日本の不幸はワイツゼッカーのような政治家が現れていないこと」 百瀬さんは「ドイツ人を松代大本営に連れてくる度に、(正しい歴史を)伝え残すことの大切さを、私たち自身が再認識する」と話した。 戦争の負の遺産を見つめないことと、正しい歴史感や哲学を持たない政治家ばかりがはびこることは、根っこが同じだ。
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