2004 年
11 月
17 日
カテゴリ:活動報告
高齢化率100%の、長野と群馬県が入り交じった集落臼田町馬坂
〜さわやか早苗日記326〜
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あおぞらでは、県境の町村の調査にうかがっている。 昨日は、長野県臼田町の馬坂(まさか)に行って来た。馬坂は、役場や県立佐久総合病院等がある臼田町の中心から東へ25km、車で40分ほどの群馬県との境にある集落だ。私の持っている長野県の道路マップに地名が見当たらなかったので、出がけに、群馬県に住む私の母に電話した。 私の父母は、臼田町と県境を挟んで群馬県側の南牧村(なんもくむら)出身で、私は子供の頃に父母の話や、今も南牧村に住む叔父達の話の中に「馬坂」という地名を聞いた記憶がある。 電話の向こうで母は、「(群馬県下仁田町から出ている南牧村行き)バスの終点、勧能から奥に行ったところだよ。長野県の分校があって、昔歩いて授業参観に行ったことがある(母は戦後間もなく南牧村で小学校の先生をしていた)。群馬県側にも家があって、たしか、沢の向こうが長野県だったと思う」と言う。沢の向こうが‥‥と言われても、イメージが湧かない。
臼田町の中心から東へ5分も走ると人家がなくなり、細い道になる。途中まではなだらかな坂道を登り、田口峠を超えると急な下り坂、谷を挟んで向こうの方には私が毎日見て育った妙義山などの岩山が見え、ここは群馬県の景色だと思った。 ヘアピンカーブを下ると、母の話していた分校らしき建物が沢の反対側にあったが、廃校になっていた。集落は何処かと探しながら進むと、県境の看板が現れた。「あれ、通り越しちゃったのかなあ?」と戻ろうとすると、先の方に「臼田町馬坂1.4km」という看板がある(写真上、私が指している看板)。 先の方にまた長野県という看板があるのかと思い、車で走ったが、看板がないまま集落についた。「ここ長野県?群馬県じゃないの?」と、キツネにつままれたような気分でキョロキョロしていると、向こうの方で住民の方が、手を振って待っていてくれた。
説明を聞いてはじめて理解出来た。道路と沢が群馬県側、家の殆どは道路と反対の沢向こうの長野県側にあるのだ。群馬側にも家が4軒あるが現在は空き家。 中には、家は長野県地籍だが、物置は沢の上に張り出すように建ててあるため群馬県地籍というお宅もある。トイレは長野県だが浄化槽は群馬県(下の写真。右がトイレ、左が物置きと浄化槽)。長野ナンバーの車を置いているのは群馬県側の車庫、集会所は長野県側に土地がなく道路と沢の間に土地を買って建てたため住所が群馬県。 こんな具合に、長野県と群馬県が集落や生活の中に入り交じっている。 かつては養蚕と蒟蒻作りをしていたため、旅館のような大きな家が多い。区長さんのお宅で話を聞いた。
ここの集落は現在11世帯18人が暮らしているが、住民の年齢は69〜88歳、なんと高齢化率100%。皆さんお元気、今日は月1回の臼田町福祉バスの日で、16人は町へ遊びに出かけていると言う。 区長さんは群馬県南牧村出身で、車で15分ほどの私の母の実家をよく知っていた。住民の人たちは南牧村との付き合いが多く、現役のころは南牧村に働きに行っていた。ケーブルテレビは頼んだら南牧村が群馬側の4軒と一緒に設置してくれ、番組は関東のもの、新聞も南牧から配達、長野県の情報は臼田町が設置した防災無線から入るのみ。 長野県の分校は昭和46年に廃校になり、娘が南牧村の小学校に入学した区長さんは、長野県人だが群馬県の学校のPTA会長になった。 話す言葉を聞いてても、私にはここが群馬県のように思える。越県合併について尋ねた。「どこへ行ったって、土地が動くわけでねえ。群馬でも長野でもえらい違いはない」(続きは次回)
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