2005 年
1 月
29 日
カテゴリ:活動報告
越県までして合併した事を忘れず自力で頑張って来た菱(村)地区
〜さわやか早苗日記347〜
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「27日、合併効果を観光振興に梶原岐阜県知事が山口村視察」という新聞記事が載っていた。知事は「馬籠−下呂−高山−白川郷を道路でつなぎ、スケールの大きい広域の観光政策をやれば、新しい展開が期待できる」と述べたとのこと。 やれやれ、やっぱり合併特例債で道路を開けるのが目的だったのか。噂には聞いていたが、神坂パーキングエリアをインターにし、玄関口まで道を開け、馬籠はちょっと寄って土産を買い、あとは下呂や高山へという計算の合併劇が、現実味を帯びて来た。合併の超推進派は、馬籠宿の下に大きなバス駐車所を持つ土産物屋の村議だったと聞く。 このような計画のもと、木曽路の玄関口馬籠を岐阜にとられた長野県民、というより、長野県議がこぞって岐阜にあげてしまったというわけだ。
26日にあおぞらでは、昭和の合併時に栃木から群馬へ越県合併した、菱村(現在、桐生市菱地区)の調査に行って来た。菱公民館には、区長を始め、合併当時の村議、桐生市の財政担当職員、学校関係者、現在の菱地区公民館活動の中心的存在の人など、元気で話好きな年配の方々が十数人も集まっていて下さった(写真)。 当時29歳の村議だったいうKさんは「織物・繊維産業で深く桐生市と結びついていた菱村は、村の面積の殆どを占める村有林などの木を切り尽くしてしまったため、木が大きくなるまで税金も入らず、学校を建てるにもお金がない、このような状況の中で桐生市との合併をすすめた」と話した。 財政担当だった職員は「合併したからには菱地区の発展を考え、市長には出来るだけの予算を付けてもらうようにした。すぐに保育園を建ててもらった。その後も、川が桐生との境になっているため、15の木の橋は全て永久橋に変えてもらった。わずが10kmほどの距離に16本の橋があるのは全国でも珍しい場所になった。」と話した。なるほど、展示してある合併以前の古い写真には、桐生側はコンクリートなのに菱側は木という橋もあった。堤防も菱側は軟弱だったため、川によってえぐられ、やむを得ず菱側で木の橋を繋ぎ足していたとのこと。
区長は「合併後、高度成長期でもあったが、菱は良いところだと多くの人が移り住み、350世帯もあるセキスイの住宅団地もでき、人口も5000人から倍以上になり、今では桐生市で3番目の人口の区になった。この土地くらい合併して出世した所はない」と自慢した。 「ただし‥‥、」と言って付け加えた。 「大きい所に合併したからと言って、大丈夫だ、やってくれるだろう等と思っていたら、まるでダメ。地域の人が頑張り、実力を発揮しないと認めては貰えない。菱はサークルが52あり、公民館が狭すぎるという事で、体育館も造ってもらった。体育館がある地区は桐生市では菱だけ。自治防災にも力を入れ、6町会合同の避難訓練を桐生市で始めてやったのが、菱だ」と、胸を張った。 地形や、時代背景の違いはあるが、ついつい今回長野から岐阜へ越県合併する山口村と、菱村を比べてしまった。 「恵北6町村も含む大きな中津川市(8万5千人)との合併の中で、2千人の山口村は、人口割合で1/42となる。将来、山口村が小さくてもきらりと輝く地域であり続けるための具体的な手だてについて、県議会総務委員会では、(山口村長、中津川市長に)質問はしたのか?」と、私は本会議場で副委員長の高見沢議員に質疑しが、具体的な回答は何一つなかった。先日の梶山知事訪問の新聞記事からも、残念ながら読み取れない。 菱では、「越県までして合併した事を忘れない!」を合い言葉に、区民が50年間頑張って来たのだ。(続く)
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