2005 年
4 月
1 日
カテゴリ:活動報告
4村の松本市への編入合併の日。寂しい閉村の式での挨拶
〜さわやか早苗日記366〜
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今日から、松本市に東筑摩郡四賀村と南安曇郡安曇村、梓川村、奈川村が編入合併された。私は23、24日と南安曇3村の閉村式に出席した。 安曇村と奈川村は廃藩置県で村政が敷かれて以来130年の歴史に幕を閉じる。村民の選択とは言え、どこか寂しさの漂う式だった。 4村とも財政面で将来を考えての選択だったが、合併してバラ色かと言うと、合併先進地の例からはそうではなさそうだ。 15年に更埴市、戸倉町、上山田町の合併で出来た千曲市の状況を新聞で読んだ。今回の予算編成は大変厳く、市長は「かつてない財政危機、基金が底をつく程の状況で、18年度の予算編成は困難が予想される」と議会で話したそうだ。「市民に新たな負担が必要になるだろう」と市幹部は言い、「更埴市だったときの方がまだ持ちこたえられた気がする」と市議は言う。
受け入れ先の松本市の側では、1/3は借金である合併特例債の使い方について、市長の姿勢が曖昧と、心配する市民の声がある。四賀村は80億円のトンネル建設目当てに合併を選んだとされるが、聞く所に寄ると、トンネルが出来ても10分程の短縮に過ぎないとのこと。それより合併で、自校給食を行っていた4つの小学校が統廃合される。 菅谷市長は式典挨拶の中で「合併協議で決まったことを実現して行く」と話したが、トンネルはどうなるのだろう。 奈川村では、伝統の獅子舞の披露があった(写真)。大きな松本市に飲み込まれ過疎に拍車がかからぬよう、小さくても輝く地域であって欲しいと強く感じた。
梓川村で、私は以下のような挨拶をさせていただいた。 『初めて安曇野を訪れた15年前、梓橋の駅に「これより安曇野」とかかれた案内があり、大変印象的だった。ここから、空気が違うような感じがした。安曇野の玄関口である梓川村が松本に編入されて行ってしまうのは、安曇野が好きで移り住んで来た者にとって、寂しく残念。 私が立ち会った閉村式は、これで3つ目、2月に山口村、昨日安曇村、今日梓川村。 パソコンに「へいそん」と打ち込むと、閉じる村と漢字に変換されない。閉村とは、特異なことなのだと、あらためて感じた。 合併を選択したのは住民だが、「このまま、合併せずにやって行ければ良いが、国からの交付金が減り、国地方合わせて800兆円近くの借金の中、やむを得ない選択だ」と、皆が言う。 このような選択をせざるを得ないのは、国の政策の誤り。 あおぞらで、昭和30年代に栃木県から越県合併して、群馬県桐生市に編入された、旧菱村へ行って来た。公民館に当時のことを知る年配の方が大勢集まり、話をしてくれた。菱地区の区長さんが「菱程、合併して発展したところはない、人口は倍以上、県議と桐生市長は菱地区出身、女性市議が2人も菱から出ている」と胸を張っていた。公民館活動が大変盛んで、リーダーの女性が、「越県までして合併し、頑張って来たこと忘れないよう、子ども達に、菱の誇りや、菱の心の拠り所となるものを伝えて残して行きたい」と話していたのも印象的だった。 梓川村には、松本にはない、安曇野らしい田園風景がある。安曇野の一員であったこと、これからも安曇野の一員であることを忘れずに、誇りを持って、頑張って欲しい。』
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