2004 年
2 月
29 日
表に見えない教育、地下水の大切さ
〜さわやか早苗日記216〜
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「日々の生活が経済的にもとても息苦しく感じています。更なる削減は勤労意欲をそがれる思いです」「田中知事のルール無視の横暴なやり方には納得できません。寒冷地手当はそもそも民間との格差をうめるためにできたもので、いつの間にか公務員の特権のように扱われています。私たちの生活は最低水準です。」 これは、私の所に届いた長野県教職員組合の先生方からの葉書に書かれた、自筆の文書である。葉書に共通の印刷された部分には、寒令地手当削減の予算案や人事院勧告無視の更なる賃金削減による、生活への影響と県民サービスの低下への懸念が書かれている。 私はこれを読んでいて、昭和30年代中頃の私が幼い頃の出来事を思い出した。私が小学1年生まで父母は教員をしていた。多分そのころ、父の給料は手取りで月2万円ぐらい、給料近くになるとお米が足りなくなり、私は母に言われて、歩いて20分ほどの親戚の家までお米を借りに行かされた。当時の公務員の給料は「安いのだろうな」と子供ながらに感じていた。 私はものを買って欲しいという我が儘を言うことのない子供だったが、一度だけ、隣の家の子供が持っていた鉛筆削り機がなぜか欲しくて、買って欲しいとねだったことがある。今から思えば、どうしても必要なものではない、答えはダメで、私は泣いた記憶がある。 数日後の夕方、文房具屋さんから鉛筆削り機が届いた。多分、1000円くらいはしただろう、父が買ってくれたのだ。その鉛筆削りを私は小学生の間中使っていた。私が「買って」とねだった唯一の我が儘は、当時の家計の苦しさと、子を思う父母の気持ちと重なって、いまでも私の心の中に引っかかっている。
当時の給料に比べたら、今の公務員の給料は、民間との格差は少ないだろう。このご時世、寒冷地手当カットは当然という県民世論も多い。先生方の手紙の中身は、このようなことに触れておらず、知事に対する非難だけであり、残念な気がする。 教育関係のNPOが苦戦している様子は2月15日の日記で伝えた。私はそこに「子供の教育にこそ、専門性を持つNPOが、人の役にたつというという精神で携われば、それこそ子供の手本になると思う」と書いた。 届いた先生達の手紙の中に「今教育に金をかけずして、どこに金をかけるというのでしょう」というものもあった。貧しくても子供には教育を受けさせたという親の気持ちは昔も今も変わらない、けれどもそれは教員に沢山の給料を払えというのとは違う。更に、教育とは学校の先生だけが担うものではない。また、30人規模学級という目に見える改革だけで、教育の諸問題は解決はしない。表に見えないところで教育に熱い思いを持つ人々やNPOの存在を、先生達には忘れないで欲しい。
昨日は南安曇水資源対策協議会主催で、安曇野の地下水について信州大学工学部の藤縄克之教授の講演を聞いた。地球上の水の分布で淡水は1%、このうち地表水は2%、後の98%は地下水だそうである。 松本平の地下水貯水量はは40億(日本のダムの総貯水量は204億)立方メートルと豊富であるが、しかし、地下水も枯渇や汚染の危険にさらされている。波田町からワサビ田湧水まで15年かかって湧き出すそうで、水道水として私たちが飲んでいる地下水は、10年以上も前のきれいな水なのだ。ただし、松本平の地下水について詳しいことはわかっていない。藤縄教授は豊富な地下水を持つ安曇野や長野県からぜひ地下水を守ることを、今から行うべきと言う。 地下水も、教育も見えない部分が多い。私たちは目に見える物にばかりとらわれがちだが、実は目に見えないところに大事なことがあり、それを見据えることが必要なのだと思う。
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