2005 年
6 月
1 日
長野県基本計画の議決等に関する条例と、議会の権限&責任<2>
〜さわやか早苗日記382〜
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(議会が策定しようとしている『長野県基本計画の議決等に関する条例』について、続き) 先日、『二元代表制と住民自治』について、地方自治の専門家、酪農大学・河合教授の講演を聴いた。
戦後の改革に於いて、GHQは国民主権と戦前の払拭の為に、地方分権を強力に進めようと知事の直接選挙を主張した。これに対して、内務省は戦前の中央集権国家残存の為に首長を議会の中から選ぶ間接選挙をもくろみ、『direct=直接』を抜きたがった。 しかし、民意を背景とした強力な施策の推進と、直接選挙による住民意識の喚起、都道府県の自治体化と民主化の徹底の為に、知事は公選、身分を公吏とし、知事に公務員の任命権をもたせた。 知事の公選を求める動きは戦前の農民運動にもあったが、全国で一番求めたのは長野県であった。 つまり、戦後に確立された知事の身分と権限は、都道府県の地位と権能の確立と切り離せない歴史がある。
次に、アメリカの二元代表制では、大統領(行政)・議会(立法)・裁判所(司法)の3権は分立した関係にある。 しかし、日本の自治体に於けるは二元代表制はこれとは違い、独特なものだ。 議会は合議制の意思決定機関であり、住民代表機関であり、執行部に対する批判監視権が認められている。 自治体を代表する首長は、執行機関の代表者であり、議会に対して招集権や議案提案権等のイニシアティブをとりうる地位にあり、再議請求権や議会解散権等の独立権限が法的にも認められている。これは、首長が直接選挙で選ばれるからである。議会に比べて多くの権限を持つ首長だから、住民にはリコール権がある。基本計画は、住民の信任を得ている首長がつくるものとされている。 この事からして日本の自治体に於ける二元代表制では、議会は首長と同じ権限をもつ存在ではなく、完全に対等な車の両輪ではない。首長と議会は相対的独自性を持つものとして、相互の適切な均衡抑制機能が望まれるのであり、その意味に於いて車の両輪なのだ。
更に、アメリカの二元代表制では、大統領と議会が対立したときは調整機能は裁判所であり、その意味で司法が最優位にある。 では日本の自治体で首長と議会が対決したら?言うまでもなく、住民が判断する。最高の決定者は住民である。それを議会は忘れてはいけない。地方主権の確立のために議会がなすべき事は、知事と対等の議会権限強化ではなく、まず、住民主権の確立である。
岩手県議会の条例調査の際、説明してくれた職員は「変なチェックをすれば議員も住民から見られる」と言っていた。長野県議会は、これまでの予算審議の中で、木製ガードレールや、スキー王国、ITバス予算など、知事が目立ったり、知事の意向が反映したものはけしからん等という感情論で、否決や削減をしてきた。これが、まともなチェックだろうか? また、「基本計画等を県知事側と議会側が共通の認識のもとで定めたい」というなら、議会も自ら議論する事が大事だ。議論する事なく数の論理で議決だけを押し通そうとする長野県議会に(議運でのあおぞら外しが顕著な例)、果たしてそれが出来るのか? 「他の11県でもやっており、地方主権の流れだから長野県議会も」と言って自らの権限(権利)を強めるために、定め持ちたがる条例だが、実は、権利には必ず責任が伴う事を忘れてはいけないのである。
長野県基本計画の議決等に関する条例案 |
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